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園長からのおたより

平成21年度

3月のおたより


今年は冬季オリンピックが開催され、日本人の健闘に声援を送っています。どの競技も氷上あるいは、雪の上の舞台で、わずか数十秒が勝負です。どの選手もその数秒、数十秒のために4年、8年、また10年以上の長きにわたって、血を吐くような練習を重ねてきたのでしょう。だからメダルはさておき、選手の顔、姿が本当に美しいと思います。そして彼らの姿勢に頭が下がります。しかしながら、メダルを獲得した選手と出来なかった選手は、時間的には、ほんのわずかの差なのですが、その違いは雲泥の差ということになります。しかしたとえメダルに手が届かなかったとしても、その選手たちは精神力、筋力、体力は高められ、何よりもやるべきことはすべてやったという達成感や充実感という、いわば目に見えない心のメダルが授与されていると思うのです。

 いよいよご進級、ご卒園の時期となりました。保護者の皆様の暖かいご理解とご協力により、無事に子どもたちを送り出すことが出来ますことを心から感謝しております。結果を出すことも大切ですが、同時に子どもたちがひたむきに歩んできた過程も大切にしてあげて、お子様を今後も見守りたいと思います。 
          園長 森山 信三

2月のおたより

1月中旬にハイチで大地震が起こりました。その週の金曜日「宗教の時間」にこのことを阪神大震災とともにお話しをしました。たくさんの人が亡くなり、家族や家を失くしたことを話しました。次の週、「先週どんなお話しをしたか覚えていますか?」と尋ねたところ皆口々に「ハイチ!」「お父さんやお母さんと一緒にニュースを見ました!」などと元気に答えてくれたことを本当にうれしく思いました。ハイチは世界でも最貧国と言われています。度重なる政情不安に加えてハリケーンなどの天災で、国は、非常に厳しい状況にあるのに今回それに追い討ちをかけるように大地震が襲ったのです。ハイチは人口の半分近くがカトリックという国です。こんな大災害に遭ったのにいたるところで神に祈りを捧げる人々の姿があったという報道に接しました。頭が下がる思いがします。人の不幸にも思いを寄せ、私たちの幸せを少しでも多くの人々と分かち合う、そんな子どもたちに成長してほしいと願います。   園長 森山 信三

1月のおたより

新年明けましておめでとうございます。今年も皆様に支えられながら、また皆様とひとつになってお子様をお育てしていきたいと存じます。
元旦に配達された新聞の中で「におい」がテーマとして特集されていました。その中で「おかあさん、なあに おかあさんって いいにおい・・・」で始まる童謡「あかあさん」の作詞家が「こどもにとって、母親のにおいは心のふるさとなんでしょうね」とコメントしているのが心に残りました。また同じ記事の中で「赤ちゃんが最初に覚えるのは母乳のにおい」であり、「お母さんのにおいは、赤ちゃんにとって何よりも安心できる居場所。においに温かく包まれ、少しずつ外の世界に歩み出していくんでしょう」とも言われています。「神父様、何かお父さんのにおいがする」と言われたことがありますが、これはどう解釈するのでしょうか。冗談はさておき、改めてご両親と子どものスキンシップの大切さを痛感いたしました。幼児期にたくさんスキンシップされている子どもたちとご両親の絆は深い愛情で結ばれており、たとえどんなことがあっても最終的な「居場所」に戻って来られるのだと思います。
 今年も膚と膚、心と心のふれ合いを大切にしてこの一年間を過ごしてまいりましょう。 園長 森山 信三

12月のおたより

 童謡「ぞうさん」の作詞者として有名なまど・みちおさんが、100歳の誕生日を迎えられたそうです。最近、100歳記念に詩集が刊行されました。新聞にも掲載された詩の一つを紹介します。

「あかちゃん」
どうも まぶしい・・ とおもって
ハット気がついた 
だっこされているんだ かみさまに! 
あかちゃんは
どんなあかちゃんでも
なんのあかちゃんでも
ママにだっこされても そのまま 
かみさまに
 だっこされているんだ!

まどさんは「私の言うかみさまは、宇宙の意思みたいなもの」と言っていますが、とても100歳になられる方の詩とは思えないみずみずしい感性を感じます。 今年も師走に入り、教会でも幼稚園でもクリスマスの準備に入りました。子どもたちは、ご両親の深い愛情に包まれて、また「神様にだっこされて」心身ともに大きく成長しました。馬小屋の幼子イエス様とともに世界中の子どもたち、特に苦難の中にある子どもたちにも思いを馳せ、また祈りながらこの月を過ごしてまいりましょう。 園長 森山 信三

11月のおたより

10月は気温も比較的高く、秋の気配をそれほど感じないうちに11月がやってきたという印象があります。しかしながら自然界は確実に冬に向かって行きます。自然界は、みな、自然のままに、自然の法則に従って生きているわけですが、人間だけが、闇を人工の光の世界に変え、暑い夏を涼しく、寒い冬をポカポカにして自然に反して生きてきた感があります。また、地上には車や列車を走らせ、空には飛行機を飛ばして来ました。確かに私たちが造り出した文明は、私たちに豊かさや快適さをもたらしました。しかし、同様に人間の内面、精神的な面はどうでしょう。豊かになったでしょうか。「私は誰か」「人は何のために生きているのか」「なぜ病、苦しみがあるか」「人はどこに向かおうとしているのか」など、人間としての根源的な問いと向き合うような機会はそれほどないと言っていいでしょう。しかし、人生の途上において人として必ず直面するこのような問題に対する備えは、日常的に、日々の生活の中において必要だと思います。なぜなら、それらは時として突然やってくるからです。 
 11月は、教会のカレンダーによると、「死者の月」とされていて、死者のために祈る月であり、死について、生について考える時なのです。子どもたちは私たちの想像以上に、このような宗教的、哲学的な話しが好きです。子どもたちとともに「・・・について」語り合う、分かち合う月になれば素晴らしいと思います。 
園長 森山 信三

10月のおたより

秋とはいえ、まだまだ強い日差しを受けて子どもたちは、汗だくになって運動会の練習をしています。

4月に入園あるいは進級してきたときに比べると子どもの成長は何とめざましいものかと感心いたします。教師の指示に従い、時には歯を食いしばって一心不乱に練習を重ねる子どもたちの姿には感動いたします。しかしながら、回りから指示されたり、ましてや命令されてではなく、自分たちで自分のしたいように行動したい、そんな思いも子どもたちの中にはあることでしょう。子どもたちの意志や要求に耳を傾け、受け入れてあげる姿勢は当然大切です。しかしながら、本当の「自由」とは、決してしたいようにさせることではありません。子どもを愛するがゆえに、あるいは子どもの真の成長を願うがゆえに、場合によっては「NO」を言わなければならないこともあります。また、一定のルールや規制を受け入れて始めて、あるいは受け入れる人だけが、真の自由を受け取ることができることを私たちは知っています。「わがまま」つまり、いつも自分のしたいようにする生き方ではなく、状況を判断して、ときには自らを犠牲にして相手のために行動できる、そんな真の自由人を目指して日々歩んでいきたいと思います。                              園長 森山 信

9月のおたより
 みんな真っ黒に日焼けして元気な歓声が幼稚園に戻ってきました。

 私どものカトリック幼稚園は、法人内で50園ほどあり、今夏350名ほどの教師が集い、研修大会が行われました。講師の助産師内田さんのお話しに一同耳を傾け、多くの人々が涙しました。「子どもは皆生きるために生まれてくる。しかし、生きることをゆるされずにこの世に生を受ける小さな生命もある。」「よく、子どもたちが変わったと言われる。しかし、何百人もの赤ちゃんを取り上げてきて、30年前と人間は何も変わっていない。変わったのは、大人と大人が作り上げた社会だ」など、本当に心に残るお話しでした。内田さんは日々、生命の誕生に関わるお仕事に携わっておられますが、私たち幼稚園教師はその後の生命を育む仕事です。しかし、いのちのつながりという点で、多くの点で共通する部分、共感することがありました。さらに、氏は人が生きていく時どうしても欠かすことが出来ない「食」の問題を大きく取り上げられました。親や大人が子どもに「食」を提供するときそれは単に空腹を満たすことではない。親が食事を作るのは子どもに対して愛情を注ぐこと、もっと言えば「あなたが大切」という表現であると言われました。お金さえあれば食べるものに事欠かない現代はこのことが限りなく疎かにされつつあるのではないか。逆に言えば、「食」を大切にする家庭は、少々の危機があっても乗り越えていけるということかもしれません。今学期もこのいのちのつながりを大切にして過ごしていきたいと思います。      園長 森山 信三

7月のおたより

辻井伸行さんが、世界的なピアノコンクールで優勝したというニュースは、暗いニュースばかりが続く昨今、わたしたちに大きな光を与えてくれました。受賞の時、お母様は、「わたしの子どもに生まれてくれてありがとう」と言われました。当たり前のことですが、この言葉が新鮮に響いた方も多いのではないでしょうか。生後、視覚障害があることが分かったとき、母は「絶望の淵に立たされ、深い谷底に落されたようなショックを受けた」と言われます。にもかかわらず、子どもの才能にいち早く気づいて立ち上がっていく母。伸行さんは「花火に行っても、心の中で色とりどりの花火が開く。母のおかげで、何でも心の目で見られるようになった。不自由はありません。」ときっぱり言う

先日、小学生に親の恩、師の恩を忘れない人になりましょう、という話しをしました。ある子が尋ねます。「恩って何ですか。」恩を分からない子どもたちが増えているとすれば、どうしてその子が今度は、人様に恩を施すことが出来るでしょうか。確かに恩は売ったり着せたりするものではなく、一生懸命生きているときに相手に自然と伝わるものでしょう。それがもし子どもたちに伝わっていないとしたら、私たちの人としての様々な関係がどこか問い直さなければならないのかもしれません。

「わたしの子どもに生まれてくれてありがとう」本当にこの言葉を一生言える親子関係でありたいものですね。     園長 森山 信三

6月のおたより  水遊びやどろんこ遊びが楽しい季節になりました。私たち大人は、濡れたくないとか汚いものには触れたくないといった思いがありますが、子どもたちはそんなことお構いなしです。一心不乱に泥をこねて泥だんごを作る子どもの眼差しは真剣そのものです。自分が思い描いていた形や大きさのものが出来れば、満足げに見せてくれます。ところで、「泥をかぶる」という言葉がありますが、誰でも泥はかぶりたくないものです。しかし、人生の中でかぶらざるを得ないことがある。あるいは、気づいて見ると、泥をかぶらされていることだってあるでしょう。泥を避けても避け得ないのなら、むしろ子どものように泥の中に入り、泥と遊ぶというくらいの余裕があったらいいのかもしれません。また、泥をまるめるとは、とがった言葉、冷淡な態度など、角をとって丸くするという行為です。泥だんごは、決してインスタントには出来ません。結構長い時間をかけて、根気よく丸めていきます。人間関係も同じでしょう。ゆっくりと根気よく育て、ある場合は、時間をかけて丸めていく作業が必要な時があります。本当に素晴らしい人とは、何か立派な業を成した人ばかりでなく、運命をありのまま受け止めた人であると言われます。     園長 森山 信三
5月のおたより  5月は教会の暦によると聖母月とされています。聖母マリアは、ユダヤの普通の女性でした。何か特別な能力があるとか、神様に選ばれるにふさわしい素養を備えた人ではありませんでした。にもかかわらず神様が彼女を選ばれた理由は、彼女が謙虚だったということです。すなわち、自分のしたことであっても自らの功績にすることなく、人々が、そっと我が子の方に眼を向けるように振舞いました。人は誰でも自分が一生懸命努力したことであったら、それを評価してほしいと望むものです。もし、それが正当に評価されないならば、気を落とすことになるでしょう。しかし、自分の中で始まったこと(すなわち救い主キリストの母となること)が、尋常ではない、常識ではかることの出来ない事柄であったならば、自分の努力はさておき、進行している事柄に身を任せる以外にはないでしょう。それは、決して「どうにでもなれ」という半ば自暴自棄的な態度ではなく、自らの力の限界を知らされた者が、大いなる力に身を委ねる、そんな態度です。マリアはまさにそのような状況に立たされ、その前で、すべてをご存知の方に「はい」と言った女性でした。私たちもこの聖母の姿勢に倣っていきたいものです。      園長 森山 信三